2026年10月、佐賀市で開催された安全配慮義務・健康配慮義務に関する産業医向けの講演会に参加しました。
今回の研修では、弁護士の先生を講師に、企業が従業員の健康を守るために負う法的な責任について、実際の裁判例を交えながら学びました。
長時間労働、ハラスメント、メンタルヘルス不調による休職・復職対応など、産業医の日常業務に深く関わる内容であり、企業の健康管理体制を考えるうえで大変参考になる研修でした。
安全配慮義務とは何か
安全配慮義務は、労働契約法第5条に定められています。使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとされています。
転倒や機械によるけがなど、身体の労働災害だけが対象ではありません。長時間労働、メンタルヘルス不調、職場のハラスメントも、労働者が安全に働き続けることと深く関係します。講演の題にあった健康配慮義務は、身体の安全とあわせて、心の健康を含めた働き方への配慮を考えるときに使われる言葉です。労働契約法第5条の「生命、身体等の安全」は、心の健康への配慮も含むものとして理解されています。
今回の講演で、産業医として特に勉強になったのは、結果だけを見ない、という点です。
安全配慮義務では、健康障害が発生したという結果だけでなく、企業がリスクを把握し、どのような対策を検討・実施していたかという過程も重要になる。
健康を損ねたという結果があるからといって、それだけで直ちに義務違反になるわけではありません。何が起きたかとあわせて、企業がどこまでリスクを見ていたか、どんな対策を検討し、実行したかが問われます。反対に、面談を実施した、相談窓口を設置した、という手続きを形式的に踏んだだけで、責任を問われなくなるわけでもありません。把握したリスクに対する検討や実施が伴っていなければ、配慮したことにはなりません。
企業は、医学的な情報を踏まえて、就業上の措置を検討し、実行する立場にあります。個別の事案で法的な責任が認められるかどうかは、事実関係によって異なります。
長時間労働と健康障害への対応
長時間労働と企業の安全配慮義務を考えるとき、広く参照される裁判例の一つが電通事件です。平成12年の最高裁判決では、使用者は、労働者に行わせる業務を管理するにあたり、疲労や心理的な負荷が過度に蓄積して、心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う、と判断されました。入社間もない従業員が、長時間労働の末に亡くなった事案です。
本人が長時間労働を断らなかったことや、仕事を抱え込みやすい性格であったことをもって、企業の注意義務が当然になくなるわけではない、という視点も示されています。結果だけで一律に責任が決まるわけではなく、事実関係の細部はここでは再現しません。
実務で最初に大切になるのは、労働時間を客観的に把握することです。労働安全衛生法では、長時間労働者への医師の面接指導などを適切に行うため、事業者に労働時間の状況の把握が求められています。タイムカード、ICカード、パソコンの使用時間など、あとから確認できる記録が基本になります。
自己申告だけで管理している場合は、申告された時間が、実際の退勤時刻や持ち帰り仕事より短くなっていないかを、企業の側で確かめる必要があります。
指示を待っている手待ち時間や、呼び出しに備えて職場に留まっている待機時間も、使用者の指揮命令下にあると評価されるなら、労働時間として扱う必要があります。
過重労働が疑われるときは、時間外労働を抑える、担当業務を分け直すなど、業務量の調整を検討します。その判断材料として、産業医面談や、就業上の措置に関する意見を使うことができます。
労働者本人が健康不調を申し出ていない場合でも、企業が把握している勤務状況から健康リスクを検討する必要があります。申し出を待つだけでなく、労働時間の記録や周囲から見える変化をもとに、企業の側から声をかける視点が大切です。
ハラスメントと企業の安全配慮義務
職場におけるハラスメントは、従業員の心身の健康と、企業が負う安全配慮義務の両方に関わります。パワーハラスメント、セクシュアルハラスメント、カスタマーハラスメントは、いずれも就業環境を害し、不調や休職につながることがあります。
パワーハラスメントは、次の3つをすべて満たすものとされています。
- 優越的な関係を背景とした言動
- 業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの
- 労働者の就業環境が害されるもの
上司から部下への言動に限りません。知識や経験の差があり、相手が抵抗しにくい関係でも、優越的な関係になり得ます。業務上の指導そのものが禁じられているわけではなく、必要かつ相当な範囲を超えたかどうかが分かれる点です。
企業の担当者がイメージしやすいのは、必要以上に大声で叱責する、人格を否定する発言をする、人前で威圧的な態度を取る、といった場面です。厳しい指導があったことだけで、直ちにパワーハラスメントになるわけではありません。ただし、業務上の必要性や相当性を欠き、本人が働きにくい状態になっているなら、企業として見過ごすことはできません。
セクシュアルハラスメントは、意に反する性的な言動によって就業環境が害される問題です。職務上の不利益を伴う場合に限りません。相談を受けたときは、事実を確認する姿勢が大切です。
相談窓口を設置しただけでは、対応したことにはなりません。相談を受けた企業が問題を放置すると、被害が続き、リスクを知りながら必要な対策を検討しなかった、と見られることがあります。事実関係を確かめ、行為者への指導、配置や担当の見直し、相談した従業員への配慮など、事案に応じた対応を行い、その内容を記録に残すことが重要です。
カスタマーハラスメントについては、講演内容とは別に、法令に基づく補足です。厚生労働省のリーフレットによれば、2026年10月1日から、顧客や取引先などからの著しい迷惑行為について、労働者を雇用するすべての事業主に防止措置が義務づけられました。方針の明確化、相談窓口、事実確認、被害を受けた従業員への配慮、再発防止が求められます。顧客からの意見のすべてが対象になるわけではなく、社会通念上許容される範囲を超えた言動が問題になります。
休職・復職対応で求められる配慮
メンタルヘルス不調による休職・復職でも、安全配慮義務は続きます。休職の手続きが終わった時点で、会社の役割が終わるわけではありません。
休職中の連絡は、本人の回復を妨げない頻度と方法を選ぶことが大切です。病状を細かく問い詰めたり、早い復職を急かしたりする連絡は、負担になることがあります。誰が、どの程度の間隔で連絡するかをあらかじめ決めておくと、対応がぶれにくくなります。
復職を考える段階では、主治医の意見を確認します。診断書に「復職可」とだけ書かれている場合も、従事できる業務、勤務時間、通勤の負担など、不足している情報は本人の同意を得たうえで確認することがあります。
産業医は、医学的な情報と実際の業務内容を突き合わせ、就業上の評価や配慮について意見を述べます。復職できるかどうかを、産業医だけで決めるものではありません。復職の時期や働き方を最終的に判断するのは企業であり、産業医の意見は、その判断を医学的な情報で支える役割です。
復職後は、休職前と同じ業務量へすぐに戻すのではなく、業務量や労働時間を調整する期間を置くことが一般的です。配置転換を行う場合も、新しい業務の対人負担や勤務時間が、健康面で過重にならないかを見ます。企業・本人・医療職が連携して、戻ったあとの働き方を具体化していくことが大切です。
裁判例から学ぶ、企業が取り組むべきこと
確認できていない事実関係は書き加えず、講演を通して共通して残った教訓を整理します。
企業が問われるのは、健康障害が起きたあとだけではありません。次の過程を、普段からたどれているかが大切だと感じました。
- リスクを把握していたか
- 適切な専門家に相談したか
- 必要な対応を検討したか
- 実際に就業上の措置を行ったか
- 対応内容を記録していたか
長時間労働であれば労働時間の記録、ハラスメントであれば相談後の確認と措置、休職であれば主治医や産業医の意見と、会社が決めた勤務条件。これらが残っていれば、当時何を検討し、何を実行したのかを説明できます。
専門家への相談も、相談した事実だけでは終わりません。産業医、主治医、事案によっては弁護士や社会保険労務士など、内容に応じた相手に聞き、聞いた内容を職場の措置へ反映することが重要です。産業医と契約していること自体で、企業の法的な責任を免れるわけではありません。
産業医として今後の活動に生かしたいこと
安全配慮義務は、一度きりの手続きで果たせるものではないと感じました。健康診断後の事後措置、長時間労働者への対応、ストレスチェック、ハラスメント対策、休職・復職支援。これらを継続して実施し、気になる兆候があれば早めに働き方を見直すことが、企業の健康管理の土台になります。
健康上の問題を、企業の中だけで抱え込む必要はありません。判断に迷うときは、産業医などの専門職と連携し、実行できる対策を検討することが大切です。対策を講じても、労働災害や健康障害を必ず防げるわけではありません。それでも、把握し、検討し、実行し、記録する過程を大切にすることが、従業員が安心して働くことにつながると、今回の研修で考えました。
研修で得られた知識を、今後の産業医活動に生かしていきたいと思います。
くるめ産業医事務所では、久留米市を中心に、佐賀市を含む佐賀県、福岡県、熊本県、大分県など北部九州の事業場に対応しています。健康管理の進め方については、お問い合わせください。





